本日4月7日は市内の中学校で一斉に入学式が行なわれた。

 私も母校生月中学校の入学式にお招きを受け、来賓として参加してきた。

P1100117 のコピー


 つい先日、小学校の卒業式で大人になった頼もしい姿を見せてくれた彼らが、今日は大きめにあつらえたダボダボの制服に着られたようにして不安な表情でぎこちなく入場する姿は毎年のことながら微笑ましい。

 新しい環境の中でいろいろな経験をしてたくましく育ってほしいと願う。

P1100132 のコピー


 さて、一言こだわりを…


 今日の入学式での生徒達の起立は進行役の教師の号令によって行なわれていた。私はこれが正解だと思う。祝辞のとき、生徒児童を座らせて話すことはよくある。話しが終わると「起立!礼!着席!」の号令に従って生徒児童は動けばいい。それだけの話しだ。



 …「これ以外に起立の方法があるのか?」と思う方もいらっしゃるでしょう。
 あるんです!形骸化したスピーチを前提にしたキュー出しが…。


 スピーチの最後に「…平成22年4月7日 ○○会会長 生月太郎」のような終わり方をする前提で「話し手が『平成』と言ったら全員一斉に起立すること」のような指導をしている式典にしばしば出会うのだ。

 …まったくナンセンスである。
 生徒児童は話し手の内容なんか聞いちゃいない。彼らの頭には「いつ『平成…』って言い出すだろう…」ということしかない。
 それだけではない。「壇上で話す人は必ず最後に日付を言うものだ」という(旧態依然の)スピーチ形式をこども達に刷り込んでしまうことが最も許しがたい。
 そもそも来賓の祝辞などはどのようなスピーチになるかコントロールのしようがないのだから、よく「平成と言ったら起立するんだぞ」などという保証のないルールでやれるものだとすら思う。

 このような形式で挙行することを許す教師の資質にすら疑問符を投げかけたくなるくらいだ。

P1100143 のコピー


 現在の生月中学校の校長はスピーチのときに原稿を読まない。ご自分の言葉で訴えかけられる。生徒達にもそれを勧めている。新入生代表、在校生代表の子供たちも原稿なしだった。
 すばらしい。
 フリーな話術のフィニッシュはあくまでフリーであり、日付と名前を最後に言って締めるとは限らない。書状を朗読するからこその日付と名前であって、口頭でのメッセージにはそぐわないということだ。

 このようなすばらしい教育をされているからこそくだんの変なキュー出しなどありえないのだ、と理解し勝手に安堵した。