近藤芳人の「パライゾ通信」

「パライゾ」とは、わがふるさと生月の先人である隠れキリシタン信者が信念を通して殉教する際に叫んだ「ここからパライゾ(=天国)は遠くない」という言葉から引用しました。  私たちはこの地をパライゾにして子や孫に引き継いで行かなければなりません。先人の熱い思いが我が島の輝かしい歴史の礎になっていると信じています。  いざパライゾたるふるさと作りにお役立ちできますよう!  〜近藤芳人〜

年代別ソフトボール大会出場

 11日(日)、毎年恒例の生月町内年代別ソフトボール大会が開かれ、私も「昭和36年チーム」の一員として参加した。


 この行事ほど生月の「同年意識」を強固なものにしてくれるいい仕組みはない!と断言して良いくらいすばらしい行事である。

 選手集めは町内在住者に限らない。我が36年チームには江迎、波佐見、そして福岡からこの大会のために戻ってきて参加してくれる仲間がいる。そのくらいの結束で同級生がつながっているのは生月の特筆すべき風土である。


 かつての強豪チームであった36年チームだが…今年は2戦2敗
 まぁ初戦を接戦で逆転負けして2試合目は「消化試合」であったから参考には出来ないが…ともかく「予選敗退」であった。
 ちなみに初戦で競り負けたチームは準優勝しているから…みたいな言い訳はあまりいさぎよくないので言わないことにしよう。(←ってちゃんと言ってますが



 夜は慰労会でひとしきり盛り上がり、町内の経済効果としてはまずまずである。


 そして夜中に足がつる。これさえなければ最高の大会である

 

法事2件

 法事が2件重なった。

 1件目は昨年の漁船事故で亡くなった縁者の一周忌法要。
 読経のさ中に聞こえてくるすすり泣きが胸を締めつけられる。
 まだまだつい先日の出来事だ。
 当時の思いも去来する…。
 あらためてご遺族の悲しみを理解するに至った。

 2件目は私の曽祖父の妹の49回忌の手納め。
 私も「故人の実家」代表として出席した。
 命日を聞いた。私がこの世に生を受けて数ヶ月後だった。
 49年後に子孫から手厚く法要を催してもらえる幸せを天国で実感していることだろう。

 心配された雨もほとんど降らず上出来の天気であった。

 かすかに見えたあの虹は天国との架け橋か。

苦しい1ヵ月を乗り越えた!

今日の塾を終えてほっとしている。
今日はなんだか頭が冴えて寝付けないかもしれない。

なぜなら…今日で緊急事態を乗り切ることができたことになるから。




塾の講師が急病で倒れたのが3月12日。

その後、手術が必要ということで転院し、無事に手術を終えて今週退院した。仕事には来週から復帰してくれるめどが立った。

ちょうど1ヵ月間留守を預かったことになる。

授業は彼と2人で分担しているが、ざっと3分の2は彼に任せていた。
その分を代講したのだから単純に通常の3倍の授業をこなしたことになる。

月謝をもらわずに休みにする手もあったが、全部自分で受け持つことにした決断は正しかったと思う。

こども達の学ぶ機会を減らしたくなかった。収入を維持することで入院中の彼にも給与を払いたい。ウチのように零細な個人塾で長期の有給休暇は厳しいが、どうにかしたくてがむしゃらに授業を詰め込んだ。

充分な質だったかという点ではそうではなかったと思うが、次善の策としては及第点をあげていい内容だったと振り返る。

零細企業では1人が欠けるとバランスがガタガタになるが、それを嘆いても何も解決しない。ないものねだりは意味がない。ひたすらがむしゃらにお客様、社員のために屋台骨を支える姿勢を貫くことしかない。

この一月はいい勉強になった。

1年生になったら…

 今日は小学校の入学式。

 中学校に引き続き、連日の入学式参列も年中行事として体にインプットされている。地元の山田小学校にお招きを受けて出席してきた。


 今年度の山田小学校新入児童は16人。
 さびしくなったもんだ。
 私の時代(もう40年前)はちょうど100人ぐらいであった。
 「1年生になったら1年生になったら友達100人できるかな」という歌がまさにぴったりだった。今の子たちにこの歌を聴かせたらどう思うだろう。6年生のお兄ちゃんお姉ちゃんまで合わせてなんとか揃う数だ。

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 やはり産業育成が急務である。
 働く場があれば人は残る。


 先日、日頃より敬愛してやまない知人と話す機会があった。いつも触発される超前向きな方だ。


 氏いわく…「地産地消ではなく地消地産だと思う」と。

 すなわち「地元で消費するものは地元で作る、という発想で事業化を支援するべきだ」という理論である。

 地域にニーズがあるものを地域の事業者を育成して賄えられれば今以上に経済は域内で流通する。
 そのためには、この域内に「どんな市場がどのくらいの規模であるのか」というデータが必要である。
 ローカルな範囲で事業者を育てればいい。行政はそのための技術支援や設備投資資金を支援してやればいい。


 そんな意見を聞いて、私もおおいに賛同し、盛り上がった。

 先日の記事「産業振興懇話会設立」にも書いたように私もまさに「市場や消費者の目線で事業を考えるべきである」という考えである。

 先日の設立以後、最初の合同会が20日に予定されている。その日にどこまで具体的な話ができるかわからないが、いずれこの会合では同様の考え方を提示(正確には再提示)するつもりだ。


 広い体育館にこじんまりと並んだ新入生の姿を眺めながら、そのような熱い想いが沸きあがるのを感じた。
 友達100人の歌を死語にしてはならない。

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生月中学校の入学式

 本日4月7日は市内の中学校で一斉に入学式が行なわれた。

 私も母校生月中学校の入学式にお招きを受け、来賓として参加してきた。

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 つい先日、小学校の卒業式で大人になった頼もしい姿を見せてくれた彼らが、今日は大きめにあつらえたダボダボの制服に着られたようにして不安な表情でぎこちなく入場する姿は毎年のことながら微笑ましい。

 新しい環境の中でいろいろな経験をしてたくましく育ってほしいと願う。

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 さて、一言こだわりを…


 今日の入学式での生徒達の起立は進行役の教師の号令によって行なわれていた。私はこれが正解だと思う。祝辞のとき、生徒児童を座らせて話すことはよくある。話しが終わると「起立!礼!着席!」の号令に従って生徒児童は動けばいい。それだけの話しだ。



 …「これ以外に起立の方法があるのか?」と思う方もいらっしゃるでしょう。
 あるんです!形骸化したスピーチを前提にしたキュー出しが…。


 スピーチの最後に「…平成22年4月7日 ○○会会長 生月太郎」のような終わり方をする前提で「話し手が『平成』と言ったら全員一斉に起立すること」のような指導をしている式典にしばしば出会うのだ。

 …まったくナンセンスである。
 生徒児童は話し手の内容なんか聞いちゃいない。彼らの頭には「いつ『平成…』って言い出すだろう…」ということしかない。
 それだけではない。「壇上で話す人は必ず最後に日付を言うものだ」という(旧態依然の)スピーチ形式をこども達に刷り込んでしまうことが最も許しがたい。
 そもそも来賓の祝辞などはどのようなスピーチになるかコントロールのしようがないのだから、よく「平成と言ったら起立するんだぞ」などという保証のないルールでやれるものだとすら思う。

 このような形式で挙行することを許す教師の資質にすら疑問符を投げかけたくなるくらいだ。

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 現在の生月中学校の校長はスピーチのときに原稿を読まない。ご自分の言葉で訴えかけられる。生徒達にもそれを勧めている。新入生代表、在校生代表の子供たちも原稿なしだった。
 すばらしい。
 フリーな話術のフィニッシュはあくまでフリーであり、日付と名前を最後に言って締めるとは限らない。書状を朗読するからこその日付と名前であって、口頭でのメッセージにはそぐわないということだ。

 このようなすばらしい教育をされているからこそくだんの変なキュー出しなどありえないのだ、と理解し勝手に安堵した。


 
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